明季南略三皇子一案 福王(弘光帝) 順治八年 1651年
三皇子一案
- 清の順治八年(1651年)冬、民間に隠れていたという「三皇子」(崇禎帝第三子、名は慈煥、法名雲庵)が密告により捕らえられ、馬提督府で取り調べを受けた。本人の供述によれば、北京陥落時に父帝の指示で近侍に守られ周皇親家へ逃れようとしたが拒まれ、その後李自成軍・左良玉軍などを転々とし、黄得功・黄蜚らの争乱に巻き込まれながら各地の王族に匿われ、最終的に出家して各地を放浪、於潜の民家に身を寄せ婚姻もしていたが、ある詐欺事件をきっかけに身元が露見し捕縛されたという。この供述は非常に詳細であり、当時の混乱の中で皇族を名乗る者が繰り返し現れた事例の一つとして記録される。