目錄下(巻七十五〜巻百五十)の概要
- 底本の目録下は、巻七十五から巻百五十までの巻次・部立て・立伝者名を列挙したもので、各巻の本文冒頭の見出しと重複するため、逐一の訳出はしない。
- 内訳は次のとおりである。晉書(巻七十五〜巻九十八)は高祖本紀六巻・少帝本紀五巻・后妃列傳一巻・宗室列傳一巻、および列傳十一巻(景延廣・桑維翰・趙瑩・劉昫・趙在禮・房知温・王建立・姚顗・盧質・萇從簡・皇甫遇・孔崇弼・范延光・安重榮ら)から成る。
- 漢書(巻九十九〜巻百九)は高祖本紀二巻・隱帝本紀三巻・后妃列傳一巻・宗室列傳一巻、および列傳三巻(王周・史宏肇・楊邠・王章・李崧・蘇逢吉・杜重威・李守貞ら)から成る。
- 周書(巻百十〜巻百三十一)は太祖本紀四巻・世宗本紀六巻・恭帝本紀一巻・后妃列傳一巻・宗室列傳一巻、および列傳九巻(高行周・安審琦・王殷・何福進・趙暉・馮道・盧文紀・王朴・楊凝式・常思・王峻・慕容彦超・劉皞・孫晟ら)から成る。
- 続いて世襲列傳二巻(李茂貞・高萬興・韓遜・李仁福、高季興・馬殷・錢鏐ら地方軍閥)、僭偽列傳三巻(楊行密・李昪・王審知、劉守光・劉陟・劉崇、王建・孟知祥ら十国の建国者)、外國列傳二巻(契丹、吐蕃・廻鶻・高麗・渤海靺鞨・黑水靺鞨・新羅・党項ほか周辺諸国)を収める。
- 末尾の志十二巻(巻百三十九〜巻百五十)は、天文・厯・五行・禮上下・樂上下・食貨・刑法・選舉・職官・郡志の各志から成る。
按語(四庫館臣の跋語)
- 臣らが謹んで按ずるに、舊五代史一百五十巻ならびに目録二巻は、宋の司空同中書門下平章事・薛居正らが撰したものである。晁公武の讀書志によれば、開寶年間に詔して梁・唐・晉・漢・周書を修めさせ、盧多遜・扈蒙・張澹・李昉・劉兼・李穆・李九齡が同修し、宰相薛居正らが監修した。玉海が引く中興書目によれば、開寶六年(973年)四月戊申に五代史の修撰を詔し、七年(974年)閏十月甲子に書が成った。凡そ百五十巻・目録二巻で、紀六十一・志十二・伝七十七から成り、多くは歴朝の実録および范質の五代通録を稿本とした。
- その後、歐陽脩が別に五代史記七十五巻を録して家に蔵し、脩の歿後に官によって刊印された。学者はしだいに薛史だけを専ら習うことはしなくなったが、二書はなお並び世に行われていた。金の章宗の泰和七年(1207年)に至って学官には歐陽史のみを用いるよう詔され、これにより薛史はしだいに廃れ、元・明以来この書を援引する者はほとんどいなくなり、伝本もしだいに湮没した。ただ明の内府にはこれがあり、文淵閣書目に見えるため、永樂大典が多くその文を載せたが、割裂・淆乱していて、すでに居正らが編んだ篇第の旧のままではなくなっていた。
- 聖朝(清)が文を右び古を稽え、散佚した書を網羅されるにあたり、臣らは謹んで永樂大典の各韻の中に引かれた薛史を甄録・条繋し、先後を検してその篇第を排纂し、なお十の八九を得ることができた。さらに薛史を引く宋人の書を考え、条ごとに採録して闕を補い、ついに原書の巻数のままに一編を勒成することができた。晦(かく)れていたものが再び彰らかになり、散っていたものが再び聚まったことは、まさに神物が呵護して時を待って世に出たかのようである。
- 居正らが修めた本は筆削の体例もまた特に謹厳であるが、宋の時からすでに二史(薛史・歐史)について論者の立場は分かれていた。司馬光が資治通鑑を作り、胡三省が通鑑注を作ったときはいずれも専ら薛史に拠って歐史は取らなかった。一方、沈括・洪邁・王應麟ら一代の博学の士は、その著述において薛史・歐史の両方を兼ね採り、優劣をつけることはなかった。おそらく歐陽脩の著作はみな旧史の文を刊削し、断制(取捨判断)を主眼として、記載が煩雑になることで史書としての体を貶めることを潔しとしなかったためであろう。それゆえその文辞は極めて工緻であるが、事情の細部にまで及ばないところがある。
- これに対し、居正らは詔を奉じて撰述にあたったのが宋初のことで、当時筆を執った臣の多くはなお五代の世を実際に経験し、見聞も較べて近かったため、紀伝はみな首尾が完備し、徴信するに足る。それゆえ異同のあるところは、事跡を較べ核(しら)べるとしばしばこの書のほうが優れている。その文体は卑弱で叙次の煩冗を免れないとはいえ、遺文・瑣事はかえってこれによって伝わることを得ており、実に考古の一助となるに足りる。また歐史は司天・職方の二考を述べるのみで諸志をことごとく欠くため、禮・樂・職官の制度や選舉・刑法の沿革のうち、上は唐の典章を承け下は宋の制度を開くものについて、一切徴すべきものがなく、薛史の諸志が文献に裨益するのに及ばない。
- 思うに二書は繁簡それぞれに体裁があり、学識も互いに資するところがあって、どちらか一方を偏廃しがたい。かつて欧陽脩と宋祁が撰した新唐書は事を増し文を省いて劉昫の旧唐書を凌ぐに足りるとされたが、その旧唐書もなお皇上の表章を仰いで今なお正史に列せられている。まして本書は文こそ歐陽脩に及ばないが事跡はより備わっており、どうして隠没させて世に顕さずにおくことができようか。
- 謹んで旧文を考え次ぎ、梁書二十四巻・唐書五十巻・晉書二十四巻・漢書十一巻・周書二十二巻・世襲列傳二巻・僭偽列傳三巻・外國列傳二巻・志十二巻、合わせて一百五十巻に釐定し、別に目録二巻を作った。その捜羅・排纂の趣旨は凡例に著すとおりである。
- 乾隆四十九年(1784年)十月、恭しく校して上る。
- 總纂官 (臣)紀昀・(臣)陸錫熊・(臣)孫士毅
- 總校官 (臣)陸費墀