皇清開國方略 跋(編纂官による進呈識語)

編纂完了の奏上と趣旨

  • 編纂を担当した臣ら(阿桂・梁国治・和珅)は、全32巻の『皇清開國方略』の完成を上奏し、皇帝自ら製した序文を巻頭に掲げたことを謹んで拝読したと述べる。皇帝が即位以来、常に祖宗の心を自らの心とし、祖宗の政を自らの政としてきたことを称え、本書の編纂がその精神を天下に明らかにする意義を持つと説く。

王朝交替の歴史観

  • 商周は諸侯連合により、唐宋は重臣の力によって興ったが、漢や明は民間から興ったものであり、正統な天命を得たと言えるのは元と清に限られるとする独自の史観を示す。太祖髙皇帝が春秋の大義に基づき挙兵し、尼堪外蘭誅殺後に諸部が服従し、薩爾滸の戦いで天討が成就して王業が確立した経緯を述べる。

太宗・世祖の事績

  • 太宗文皇帝の代には版図が広がり、松山・杏山の戦いは薩爾滸に匹敵する武功であったが、太宗は常に辺臣に武を濫用せず民を害さぬよう戒めていたとする。世祖章皇帝は流賊を掃討して中原に入り、天下は元来明の所有ではなかったとの立場から、清の中原統治の正統性を強調する。

元朝との比較と当代の功業

  • 正統な天命を得た王朝として元と清のみを並び立て、しかし元は世祖の後、成宗の代に早くも衰退したのに対し、清は歴代皇帝が威徳を広め、西域の平定・金川の平定に至るまで版図を拡大し続けていると誇る。現在の皇帝(乾隆帝)による西方遠征の功業も、班固の西域伝や唐代の北庭記録を凌ぐものと称える。

結びの言葉

  • 太祖・太宗が使犬使鹿の地や黒貂黒狐の産地まで臣属させ中原を領有するに至った経緯と、今の皇帝が辺境の平定を成し遂げた事績を並べ、いずれも天に従った行動であり武威を誇示するものではなかったと結論づける。編纂に携わった臣(阿桂・梁国治・和珅)は、この事業への感激を抑えられないとして拝手稽首し、識語を結ぶ。