皇清開國方略太祖髙皇帝 戊子年 1588年
完顔城攻略と婚姻・人材の帰属
- 葉赫貝勒揚吉努が末娘(後の孝慈高皇后、太宗文皇帝の生母)を太祖に嫁がせた。
- 哈達万汗の子貝勒瑚爾罕も娘を太祖の妃として送った。
- 太祖は棟鄂部の弓の名手紐翁錦の技を試し、自らも同等の技量を示したという逸話が伝わる。
- 蘇完部長索爾果とその子費英東(後に一等大臣・世襲信勇公)、棟鄂部長の孫何和哩(後に一等大臣・世襲勇勤公、太祖長女を娶る)、雅爾古寨長扈拉瑚とその子扈爾漢(覚羅の姓を賜り侍衛となる、後に一等大臣・世襲子爵)が相次いで帰順した。
- 太祖は完顔部を親征し、行軍中に流星が落ちる瑞兆を得て、完顔城を落とし城主岱度墨爾根を斬った。