皇清開國方略太祖髙皇帝 丙戌年 1586年

鄂勒琿城攻略と尼堪外蘭の誅殺

  • 嘉班を追われた尼堪外蘭は撫順所へ逃げ込もうとしたが明の辺吏に拒まれ、これを見た彼の一族・与党も背いたため、尼堪外蘭は鄂勒琿の地に逃れて築城した。
  • 太祖は途上の敵対勢力(蘇克素護河部の安図瓜爾佳寨、渾河部の貝琿寨、哲陳部の托摩和城など)を平定しつつ進軍し、鄂勒琿城を攻めた。城外で遭遇した尼堪外蘭一党と見られる一団に単身突入し、三十余の傷を負いながらも八人を射殺、一人を斬るなどして敵を潰走させ、落城させた。
  • 城中に尼堪外蘭は見つからず、太祖は明の辺吏に引き渡しを要求。明は「自ら来て討て」と応じ、太祖が斉薩ら四十人を派遣したところ、尼堪外蘭は台に登って逃げようとしたが明人が梯子を外して降ろさず、斉薩に討ち取られ、その首級が献じられた。これ以降、明は歳ごとに銀八百両・蟒緞十五疋を贈り和好を通じたとする。