皇清開國方略太祖髙皇帝 乙酉年 1585年
界藩における納申・巴穆尼の誅殺
- 瑪爾墩寨で敗れた納申が界藩寨主巴穆尼を頼っていたため、太祖は小勢で界藩を襲うが失敗。しかし薩爾滸・棟嘉・巴爾達・界藩の連合軍が反撃してきたところを太蘭岡の野で迎撃し、太祖自ら単騎で納申・巴穆尼を討ち取った。
- その後、退却する際に自ら少数で殿を務め、あえて甲冑を晒して敵の追撃を牽制するなど、巧みな用兵で被害なく撤収した。
界藩南山における哲陳部連合軍の撃破
- 太祖は歩騎五百で哲陳部を征したが、大水のため主力を返し、わずか八十人で先行したところ、五城の連合軍(約八百人)に遭遇。
- 味方が恐怖して武具を人に預けようとするのを叱咤し、太祖自ら旗を掲げて突撃、弟穆爾哈斉や近侍延布禄・烏凌阿と共に奮戦して敵を渾河へ追い落とした。
- さらに吉林崖で伏兵十五人を迎撃し、四人でこれを退けた。「四人をもって八百人を敗った」のは天の助けであると太祖は語ったとする。