高士傳卷三 焦先
出自不明の隠者
- 焦先は字を孝然といい、その出自を世人は知らなかった。漢末に生まれたとも言われる。魏が禅譲を受けた頃、常に河のほとりに草を結んで庵を作り、独りその中に住んだ。
極端な苦行
- 冬も夏も肌を露わにして衣を着けず、寝る時は敷物を設けず、蓐すらなく、身を直接土に着けたため、体は垢と汗にまみれて泥のようであった。人間の暮らしには関わろうとしなかった。
- 数日に一度食べることもあり、道は決して邪道を歩まず、目は女性と目を合わせず、口は言葉を発することがなく、たとえ緊急の事態があっても人と語ることはなかった。
- のちに野火が庵を焼いたが、先は露天に寝たままでいた。冬に大雪に見舞われても、肌を露わにして横たわったまま動かなかった。人々は死んだと思って見に行くと、以前と変わらぬ様子であった。その後、百余歳で没した。