高士傳卷三 管寧
遼東への避難
- 管寧は字を幼安といい、北海朱虚の人である。霊帝の末年、中国が乱れつつあったため、友人の邴原とともに海を渡り、遼東太守公孫度のもとに身を寄せた。公孫度は館を空けて礼を尽くして遇した。その後、中国がやや安定すると人々は多く南へ帰ったが、寧だけは帰らなかった。
帰還後の隠逸
- 黄初年間、華歆が寧を推薦した。寧は公孫淵が必ず乱を起こすと見抜き、これを機に徴召に応じて帰還し、太中大夫に任じられたが、固辞して受けなかった。
- 寧は前後十度徴召を受け、輿服を四度賜ったが、常に一つの木の榻に座り、五十五年にわたって胡座をかいたことがなかった。榻の膝の当たる部分はすべて擦り切れていた。常に布の裙と貉の皮衣を身につけ、先祖を祀るときだけ古びた布の単衣に頭巾を着けた。
- 遼東の郡国では、その姿を府殿に描かせ、賢者と称した。