高士傳卷三 姜肱

兄弟の睦まじさ

  • 姜肱は字を伯淮といい、彭城広戚の人である。家は代々名族で、兄弟三人は皆孝行で知られた。肱は最年長で、二人の弟の仲海・季江と同じ布団に寝るほど親しく仲が良かった。成長して各自妻を娶ってからも、兄弟の愛情は変わらず離れがたかった。

学問と名声、そして固辞

  • 肱は五経を学び、あわせて星緯の術にも明るく、弟子は遠方から集まって三千余人に及び、当代にその名を重んじられた。孝廉に一度、公府に十度辟召され、有道に九度推挙され、至孝・賢良・公車の徴召も三度あったが、いずれも応じなかった。仲海・季江もまた徴召に応じなかった。
  • 建寧二年(169年)、霊帝が詔して犍為太守に任じようとした。肱は詔を受けると、友人に語った。「私は実のないところに実の評判を得て、名声を借りてきた。盛んな明時代にあってさえ出仕しないのに、まして今、政治が私門に握られている時にどうして仕えようか。」
  • そこで身を隠して逃れ、船に乗って海に浮かび、使者は追いつくことができなかった。再び玄纁の礼で招かれたが応じず、太中大夫に任じられても、また逃れて詔を受けなかった。名声は天下に鳴り響き、七十七歳で自宅で没した。