高士傳卷二 四皓
出自
- 四皓はいずれも河内軹の人(あるいは汲の人ともいう)。東園公、角里先生、綺里季、夏黄公の四人で、皆道を修め身を潔くし、義に非ざれば動かなかった。
秦の暴政を逃れて隠棲
- 秦の始皇帝の時、秦の政治の苛烈さを見て藍田山に退き、歌を作った。歌意は「険しい高山、深い谷を巡る。生い茂る紫芝は飢えを癒すが、堯舜の世は遠く、我らはどこへ帰ろうか。富貴は人に畏れられ、その憂いは甚だ大きい。富貴の身が人を畏れるより、貧賤の身で心のままに生きる方がよい」というものであった。
- 共に商雒に入り、地肺山に隠れて天下が定まるのを待った。
漢の招聘に応じず
- 秦が滅んだのち、漢の高祖がこれを聞いて招いたが応じなかった。
- 深く終南山に身を隠し、己を屈することがなかった。