高士傳卷二 壺丘子林

遊びの真意を説く

  • 壺丘子林は鄭の人。道徳に優れ、列禦寇(列子)が師事した。
  • 遊覧を好む列子に、壺丘子は「禦寇は遊びを好むというが、何を楽しんでいるのか」と問うた。列子は「遊びの楽しさは、目にするものに定まった形が無いところにある。人の遊びは目に見えるものを観るが、私の遊びはその変化を観る」と答えた。
  • 壺丘子は「お前の遊びは他人と同じでありながら、自分では違うと思っている。見るところは常にその変化に過ぎず、物そのものに『物ならぬもの』が無いことをまだ知らないだけで、実は私も同じく定まった形は無い。外に遊ぶことばかりに努めて内を観ることを知らないのだ。外遊びは物に完備を求め、内観は自らの内に満ち足りることを求める。身に満ち足りることこそ遊びの極みであり、物に完備を求めるのは至らぬ遊びだ」と論した。
  • 列子はこれを聞いて自らを遊びを知らぬ者と思い、生涯外に出ぬ覚悟で鄭圃に四十年住んだが、誰にもその存在を知られなかった。