高士傳卷一 陸通

出自

  • 陸通は字を接輿といい、楚の人。生来を養うことを好み、自ら耕して食を得ていた。

楚狂としての振る舞い

  • 楚の昭王の時代、国政の乱れを見て狂を装って仕えず、当時の人は彼を「楚狂」と呼んだ。
  • 孔子が楚に赴いた際、楚狂接輿は孔子の門前で「鳳よ鳳よ、その徳はなぜ衰えたのか。来世は頼めず、往世は追えない。天下に道があれば聖人はそれを成し、道がなければ聖人はただ生き延びるのみ。今の世ではわずかに刑を免れるだけだ。福は羽より軽いのに誰も担おうとせず、禍は地より重いのに誰も避けようとしない。もうやめよ、徳をもって人に臨むことも、危うい、地に線を引いて進むことも。荊棘よ荊棘よ、わが道を傷つけるな。曲がった道よ、わが足を傷つけるな。山の木は自ら伐られ、膏火は自ら燃え尽きる。桂は食用になるゆえに伐られ、漆は用いられるゆえに割かれる。人は皆、有用の用を知るが、無用の用を知らない」と歌った。
  • 孔子は車を降りて語ろうとしたが、接輿は身をかわして避け、話すことはできなかった。

楚王の招聘と妻の諫め

  • 楚王は陸通の賢を聞き、使者に黄金百鎰と車馬二駟を持たせて招き、「江南の地を治めてほしい」と告げた。陸通は笑うだけで答えなかった。
  • 使者が去った後、市から戻った妻が「あなたは若くして義を行ってきたのに、老いてそれを違えるのですか。門外の車の跡が深く残っています。義士は礼にかなわねば動かないと聞きます。私はあなたに仕え、自ら耕して食べ、自ら織って着て、それで満ち足りております。お受けにならない方がよいでしょう」と諫めた。
  • そこで夫婦は釜甑や紡績具を担ぎ、姓名を変えて諸国の名山を巡り、桂や櫨の実を食べ、黄菁の種を服用し、蜀の峨眉山に隠れ住んで数百年生きたと伝わる。世間ではこれを仙人になったのだと言い伝えている。