出自
- 弦高は鄭の人。鄭の穆公の時代、秦・晋に迫られる情勢を見て隠れて仕官せず商人となった。
秦軍の奇襲を見破る
- 晋の文公が帰国した後、秦の穆公と共に鄭を攻めてその都を囲んだ。鄭は密かに秦と講和し、晋軍は退いた。秦はさらに大夫の祀於ら三人を鄭に駐留させた。
- 三年後、晋の文公が没し襄公が即位すると、勢いを増した秦の穆公は百里西・乞白乙に軍を率いさせて鄭を襲わせた。秦軍は周を通過して滑の地に戻ったが、鄭はこれを知らなかった。
- 弦高はちょうど周へ商いに出ており、この軍勢に出くわした。友の蹇他に「軍が数千里を行軍し、幾つもの諸侯の地を経ているのは、必ず鄭を襲うつもりだからだ。奇襲は油断につけこむものだ。備えがあると知らせれば、必ず進軍をためらうだろう」と語った。
- そこで弦高は鄭伯の命と偽って十二頭の牛を秦軍にねぎらいとして贈り、同時に人を遣って鄭に備えを告げさせた。祀於は逃げて斉に奔り、孟明らが都に戻ろうとしたところを晋軍に迎え撃たれ、秦軍は大敗した。鄭はこうして弦高の機転によって存続した。
恩賞の辞退
- 鄭の穆公は国を救った功として弦高に恩賞を与えようとしたが、弦高は「偽りによって恩賞を得れば、鄭国の政は乱れる。国のために信を欠くことは風俗を損なうことであり、一人に恩賞を与えて国の風俗を損なうことを、智者は行わない」と辞退した。
- そして一族を率いて東夷へ移り住み、生涯戻らなかった。