- 要旨: 昼は空腹で戦い夜は遠く城郭まで退いて宿泊するという浙江の従来のやり方を批判し、野営と炊事設備を整えて昼夜構わず戦える体制を説く。あわせて古法無用論に反論し、浙江各地の郷兵の性質と、その運用によって兵の士気(気)をいかに保つかを論じる。
昼夜の疲弊への批判
- これまでは昼は空腹で戦い、夜は数十里離れた民家や城郭まで退いて休むため、行き帰りに疲労し、敵に伏兵の機会を与えていたと指摘する。
- 敵は夜間に地の利を生かして伏兵を仕掛けるため、こちらは労して謀なく、敵は逸して伏が的中しやすいと分析する。
対策
- 野営を熟練させ炊事設備を整えて、昼夜を問わず持久できる態勢を作れば、敵は略奪もできず、決戦もできず、飢えて散らざるを得なくなると説く。
- 夜間演習用の灯籠、営塁用の蒺藜・拒馬、築営用の鍬などの装備を挙げる。
古法無用論への反論
- 「昔の兵法は形だけの道具で実用にならない」という俗説に対し、地方の風土・人情に応じて活かせないだけだと反論する。
浙江各地の郷兵の気質
- 処州兵は鉱夫出身で信義を重んじるが、戦えないと言えば決して戦わず、戦うと言えば必ず戦うものの、一度使うと消耗しやすい。
- 紹興兵は嵊県・諸暨・蕭山など沿海出身で器用だが臆病で、命じれば従うが敵を見ると退き、追えばまた退くというように主体性に欠ける。
- 台州兵は太守譚綸(譚公)の厳格な統率のもとで実績を上げたが、それは譚公の統率あってのことだとする。
- 義烏兵は嘉靖三十八年己未(1559年)に知県趙大河(趙公)の招集により戚継光自らが選抜・訓練して以来名を上げた兵で、狡知と勇猛を兼ねるが、命令に従わず勝てば突出しがちで、敵の計略にはまりやすい。
- 総合すると処州兵が第一、義烏兵が次、台州・温州がその次、紹興兵がさらにその次とし、それぞれに合った統率法(処州兵は気を消耗させないよう連戦を避ける、義烏兵は恩威を併用し規律を叩き込む、台温兵はさらに厳しく、紹興兵は威令で心を締める等)を説く。
兵の気を保つ理論
- 兵の勝敗を決めるのは気であり、気には消長があるとし、清水を汲み続ければ濁り、涸れるように、連戦すれば気が濁り消耗すると譬える。
- 処州兵がその名声ゆえに各地で乱獲的に募集され、質が薄まって次第に負け始めた経緯を挙げ、義烏兵も同じ轍を踏みつつあると懸念する。
- 義烏兵二万余が福建をはじめ各地に募られているが、義烏の人口からすればそのうち真に精鋭と呼べる者はごくわずかであり、統率する将も皆が兵の性質や統率法に通じているわけではないため、いずれ大きな挫折を招くと警告する。
自らの義烏兵統率法
- 平時から破格の号令と厳しい賞罰を課し、演習場でも実戦さながらに扱う。
- 自ら病兵に薬を与え、苦労を共にし、夜には隊伍を密かに見回り、私財を投じ、兵の装備は自ら試験してから配ると述べる。
- 出撃前には数日前から間諜を放って敵情・地形を偵察し、模型や図で全隊に周知させ、戦闘中も士気の推移(遅れ・隙・誘い・驕り)に絶えず気を配ると説く。
- 戦後は負傷者・戦死者の遺族を手厚く弔い、功には重賞、連座の罰も明らかにし、直ちに中軍の予備兵で欠員を補充して常に満員の態勢を保つとする。これは八陣における遊兵(予備隊)の考え方に通じるとする。
辛酉の台州大捷について
- 問い: 辛酉(嘉靖四十年=1561年)の台州の大勝は再現できるか。
- 答え: 勝つこと自体は人事によるが、全軍無傷での完勝は天運にもよるものであり、義烏兵の力だけに帰して驕ってはならないと戒める。
郷里の慣れた武器・技への固執への戒め
- 郷里で用いる刃のない镋叉鈀鐪は、内輪の喧嘩には有効でも、丈余の刃を持つ倭寇の得物には歯が立たないと説く。
- 処州流の狼筅の型も、密集した実戦では振り回す間合いが取れず、失敗の原因を武器や技のせいにする誤りを指摘する。
- 自著の別篇「短兵長用說」「長槍短用說」に記した実戦向けの型に改めるべきだとし、教官はまず旧来の思い込みを解いてから新法を教えるべきだと説く。
結び
- 統制(節製)の要は編成(束伍)に始まり、号令、そして武器の順であるとする。
- 経籍の精華を自らの判断で活かし、型に泥まないことを求め、儒家の格物致知・誠意正心の道筋になぞらえて武の道を説き、孔子の「我戦えば則ち克つ」の言葉を引いて締めくくる。