華陽國志卷十中 犍為士女

犍為郡の男子

  • 王延世(字長叔、資中):河決を治め河堤謁者となり「河平」の元号の由来となった。
  • 董鈞(字文伯、資中):礼制に精通し天地宗廟郊祀の儀を定めた。
  • 張皓(字叔明、武陽):廷尉として清河王蒜の廃立に反対、後に司空となった。
  • 趙旂(字子鸞、資中):司隷校尉として梁冀一族を法で取り締まった。
  • 楊渙(字孟文、武陽):尚書中郎・司隷校尉を歴任した清秀の士。
  • 楊凖(字伯邳、漢安):李固の推挙で尚書・司隷校尉となり権貴の子弟の不正を糾弾した。
  • 楊莽(字翁君、武陽):功曹として刺史王尊の使者を巡る問答で機知を示した。
  • 費貽(字奉君、南安):公孫述の時代、狂を装い隠遁した。
  • 任永(字君業、僰道):公孫述の招聘を目病と偽り拒んだ。
  • 杜撫(字叔和、資中):薛漢に師事し門生千人を教えた。
  • 趙松(字君橋、武陽):費貽を助け隠棲を守った。
  • 張綱(字文紀、張皓の子):司空として権臣を弾劾した剛直の士。子孫も代々高官を輩出。
  • 朱遵(字孝仲、武陽):公孫述に絆馬死戦した忠義の士。
  • 趙敦(字建侯、武陽):梁冀の招聘を拒み続け、冀の自殺後もあえて弔問した。
  • 隗相(字叔通、僰道):母への孝行から石が生じたと伝わる。
  • 呉順(字叔和、僰道):孝行により赤烏が巣を作ったと伝わる。
  • 楊洪(字季休、武陽):先主の代に蜀郡太守として黄元の反乱を鎮めた。
  • 伍梁(字德山、南安):儒学の徳望で功曹に選ばれた。
  • 費詩(字公舉、南安):先主の即位に慎重論を唱えた諫臣。
  • 楊義(字文然、武陽):丞相亮の主簿を務めたが姜維に疎まれた。
  • 張翼(字伯恭、綱の孫):姜維の頻繁な出兵を諫めた車騎将軍。

犍為郡の女子

  • 進楊(武陽、王博の妻):姑の教えを継いだ賢婦。
  • 陽姫(武陽):獄中の父の罪を渙に直訴し赦免させた。
  • 周度(僰道):夫の死後、断髪して守節。
  • 敬姫(曹氏、南安、周紀の妻):投水するも蘇生し貞節を貫いた。
  • 貞玦(瓊玉、牛鞞、張惟の妻):太守の督郵の強要に投水して抗った。
  • 韓姜(僰、尹仲讓の妻):強制婚を拒み自殺、太守に加害者が処罰された。
  • 謝姫(南安、儀成の妻):夫の死に殉じ同穴に葬られた。
  • 媛姜(趙氏、資中、盛道の妻):夫を逃がすため自ら身代わりとなり獄に下った。
  • 黄帛(僰道、張貞の妻):水死した夫の遺体を十四日探し続けた。

犍為郡士女総括

  • 合計三十人(士二十一人・女九人)。