華陽國志卷十上 先賢士女摠讚論 蜀郡士女

総序

  • 天地の和気は人倫を生み、賢彦が現れて世を治め教えを広める。太上は徳を立て、その次は功を立て、その次は言を立てるという。益州・梁州は前代より夏の勲(大禹)や彭祖の遺風を受けたが、顕彰される者は少なかった。漢の興隆以来、璽書が斜谷の南に交わされ、束帛が梁益の郷に届き、多くの俊才が世に出た。常璩はこれらの先賢の事績を撰び、讚と自注解を付してこの篇を著したと述べる。

蜀郡の男子

  • 厳遵(字君平、成都):市で占いをしつつ人を孝悌忠に導き、『老子指帰』を著した。揚雄が師事し、益州刺史杜陵の李強もその高潔さに敬服した。九十歳で没す。
  • 李仲元(字仲元、成都):郡功曹となるも一月で辞し、子の贅の冤罪を巡る逸話で知られる。揚雄が「不屈不累、不夷不恵」と評した。
  • 揚雄(字子雲、成都):貧しくも学を好み、司馬相如の辞賦を慕い、王音に仕え侍郎給事黄門となった。『太玄経』『法言』『訓纂』『州箴』『方言』などを著し、劉向父子・桓譚らに敬服された。子の烏は七歳で父の文を助け九歳で没した神童。
  • 林閭(字公孺、臨卭):古の輶車の使の職掌を知る学者で、揚雄に方言研究の師となった。
  • 何武(字君公、郫):対策甲科より出世し大司空・泛郷侯となった忠厚な政治家。龔勝・龔舎、唐林・唐尊らの賢士を推挙。王莽の専横に抗い、最終的に呂寛・呉章事件に連座し自殺(諡は刺侯)。
  • 張寛(字叔文、成都):文翁の派遣で七経を学び蜀学の礎を築いた張叔の同門。益州刺史として女子の霊験を解く逸話が伝わる。
  • 司馬相如(字長卿、成都):『子虚賦』『上林賦』で武帝に認められ中郎将となった辞賦の祖。
  • 王褒(字子淵、資中):高才の文藻で宣帝に『甘泉洞簫賦』を献じ諫大夫となった。
  • 楊終(字子山、成都):十三歳で『雷賦』を作り、明帝の代に班固・賈逵と校書郎を務めた。
  • 陳立(字少遷、臨卭):牂柯・巴郡・天水の太守を歴任し治績随一と評された。
  • 王阜(字世公、成都):益州太守として神馬・甘露・白烏の瑞祥を得た。
  • 張霸(字伯饒、諡文父、成都):幼くして礼義を知り、会稽太守として撥乱興治、道路に誦声が満ちたと評された。
  • 趙典(字仲経、成都):太尉趙戒の孫。李膺らと「八俊」に数えられた。
  • 何英(字叔俊)・楊由(字哀侯):郫の学者。英は『漢徳春秋』十五巻を著し、由は星気を読む術で名高かった。
  • 任昉(字文始、成都):梁相・尚書令・大司農を歴任した清廉な官僚。弟の愷も徐州刺史として名を残す。
  • 何霸(字翁君):郡戸曹として王尊の求めに毅然と応じた。
  • 柳宗(字伯騫、成都):進賢に努め「黄金一笥を得るより伯騫の推挙を得る方がよい」と評された。
  • 趙戒(字志伯):司徒太尉を歴任した文侯。
  • 趙謙(字彦信):戒の孫。董卓の遷都策を諫めた太尉(諡忠侯)。
  • 趙温(字子柔):謙の弟。李傕を書で叱責した司徒。
  • 常洽(字茂尼、江原):献帝の西遷に随行し傕に殺された侍中。
  • 楊竦(字子恭、成都):越嶲・永昌の夷反乱を平定した功臣。
  • 張充(字伯春)・李□(字孟元、江源):治中従事として刺史の非礼を正した。
  • 楊班(字仲桓)・羅衡(字仲伯、郫):善政の県令として祠を建てられた。
  • 陳湛(字小伯、成都):治中従事として州郡の私交を戒めた。
  • 禽堅(字孟由、成都):夷に捕らわれた父を六年の艱難の末に探し当てた孝子。
  • 仲圼(成都):師の危難を救うため夷の反乱地を突破した。
  • 任末(字叔本、繁):師の喪に殉じた学徒。
  • 朱普(字伯禽、広都):無実の罪で拷問を受けても節を曲げなかった郡功曹。
  • 李磬(字文寺、厳道):夷の反乱で主君の身代わりとなり殺された。
  • 章明(字公孺、新繁)・王皓(字子離、江原):王莽への不服従を貫き自殺・刎首した節士。
  • 侯剛(字直孟、新繁):王莽の簒位に抗議し木で門を守り死んだ。
  • 王嘉(字公卿、江原):公孫述の招聘を拒み自殺した。
  • 羅衍(字伯紀、成都):公孫述に仕えつつ解文卿・鄭文伯を諫めさせた。

蜀郡の女子

  • 敬司(張伯饒の妻):五子を分け隔てなく育てた継母。
  • 叔紀(張霸の孫娘、王尊の妻):孝女・賢婦・慈母と称えられた。
  • 公乗㑹の妻(張氏、広都):夫の死後、断髪して守節。
  • 助陳(陳氏、揚鳳珪の妻):改嫁を拒み自らの命を賭して遺子を守った。
  • 元常・靡常(江原):それぞれ養子を育て家を成した。
  • 紀常(常洽の娘、趙侯夫人):父の喪の道中の哀誠が語り継がれる。
  • 貢羅(郫):夫の死後、改嫁を拒み訴訟に及んだ。
  • 玹何(郫、趙憲の妻):改嫁を拒み断食して死んだ。
  • 昭儀(張氏、朱叔賢の妻):劉璋の囲城下、夫の代わりに自殺した。
  • 姚超の二女:夷の反乱で辱めを拒み共に入水した。

総括

  • 蜀郡士女は合計五十五人(士四十三人・女十二人)。