間書明の太祖と老門番

事例

  • 『智囊補』 ― 陳友諒が太平を陥れ、張士誠に建康を共に攻めようと誘った。太祖は康茂才を召して言った ―「二つの賊が結べば禍は深い。先に友諒を攻めれば、東の賊は肝を潰す。急いで友諒を来させることができるか」。茂才は「家にかつて友諒に仕えた老門番がおります。遣わせば必ず信じます」と答えた。
  • かくて門番に書を持たせ、小舟でまっすぐ偽漢の軍中へ行かせ、内応を約束させた。友諒は果たして信じて大いに喜び、「康公はいまどこにいる」と問うた。「江東橋を守っております」と答えた。「橋はどんなものだ」と問うと「木の橋です」と答えた。金を賜って帰らせ、「私はすぐに行く。着いたら『老康』と呼ぶのを合図にしよう」と言い含めた。
  • 門番が帰って報告すると、太祖は「これでわが罠に落ちた」と言い、人をやって木の橋を撤去させ、鉄と石に取り替え、一夜で完成させた。馮勝・常遇春が三万を率いて石灰山の側に伏せ、徐達らは南門の外に陣し、楊璟は大勝港に駐屯し、張徳勝・朱虎は水軍を率いて龍江関の外へ出、太祖は大軍を率いて盧龍山に陣した。旗手に命じて黄旗を山の右に、赤旗を山の左に伏せさせ、「敵が来たら赤旗を挙げよ。鼓の音を聞いたら黄旗を挙げ、伏兵はみな起て」と戒めた。
  • その日、友諒は果たして軍を率いて東へ下り大勝港に至ったが、水路が狭く、楊璟の兵に遭ってすぐ大江へ退いた。まっすぐ舟で江東橋に突き当たると、橋がみな鉄と石なので驚き疑った。急いで「老康」と呼んだが応答がない。はじめて欺かれたと気づいた。ただちに水軍千余を龍江へ向け、先に一万人を上陸させて柵を立てさせ、勢いはきわめて鋭かった。
  • そのとき酷暑で、太祖は必ず雨が来ると読み、諸軍にひとまず食事をさせた。空には雲ひとつなかったが、突然、西北から風が起こり大雨となった。赤旗が挙がり、諸軍は競って前へ出て柵を抜いた。友諒が軍を指揮して争い、戦いが合わさったところで、ちょうど雨が止んだ。鼓を打てと命じ、鼓声が轟き、黄旗が挙がり、伏兵が起こった。徐達の軍も到着し、水軍も集まり、内外から挟撃して、友諒の軍は大敗した。