西夏書事卷四十 宋寧宗(金貞祐四年・蒙古太祖十一年) 嘉定九年(夏光定六年) 1216年

諸部族の帰属変動と対金交戦

  • 夏四月、葩俄族の都管汪三郎が叛いて金に降った。金の招諭に応じ、臨洮・積石・鐸精の諸族の都管も相次いで金に帰順した。
  • 五月、来羌城の界河に橋を修めて兵路を通そうとしたが、金軍に焼かれた。
  • 諜者陳岊が金に入り捕らえられた。臨洮・鞏州の攻略から長安への進出を図る偵察であった。
  • 秋閏七月、金兵が阿弥湾を襲った。夏の奏文がなお金の年号を用いていたが金主はこれを却け両路から進攻させ、遵頊は戦を戒めたが金の完顔狗児が奇襲で将士数百人を殺した。
  • 八月、金の安塞堡を攻めたが敗れた。金の烏古論慶寿の援軍に阻まれ、鄜州倉曲谷でも敗れた。
  • 結耶觜川を掠めようとしたが敗れ、車児堡に拠ったがさらに敗れた。
  • 九月、蒙古兵と連携して金の延安府・代州を攻め、潼関を破った。金の経略使奥屯醜和尚を戦死させ関を破ったが、蒙古と結んだこと自体を「不智」と評される。
  • 冬十一月、金の定西城を包囲したが、金の赤盞合喜・楊榦烈に大敗し多くの兵馬を失った。
  • 十二月、金が鹽・宥・夏の諸州を攻めたが、夏はこれを防いだ。
  • 金の守臣劉徳基を殺した。徳基は城が破れても屈せず殉節した人物として記される。