西夏書事卷四十 宋寧宗(金主允濟大安元年・蒙古太祖四年) 嘉定二年(夏應天四年) 1209年

蒙古の大規模侵攻と中興府包囲

  • 春二月朔、太白(金星)が昼間に現れ、その光が天を経った。
  • 三月、蒙古兵が河西に入り、大都督府主高逸がこれに殉じた。金の叛人李藻・田広明らの勧めで蒙古主が黒水城北より兀剌海関口を経て河西に侵入した。安全は世子承禎を主将、高逸を副元帥として五万の兵で禦かせたが大敗し、高逸は捕らえられ屈せず死んだ。
  • 夏四月、兀剌海城が降った。豊州人謝睦歓の勧めで守将が降り、太傅西璧氏は巷戦の末に捕らえられた。
  • 秋七月、克夷門が破られた。要衝を守っていた嵬名令公が蒙古の伏兵にかかり捕らえられ、克夷が破られた。
  • 中興府を包囲され、九月、黄河の水を引いて城を灌がせた。安全は自ら将士を督して守り抜いたが、大雨で河水が氾濫し、蒙古主は堤を築いて城を灌がせ、溺死者が多数出た。
  • 冬十月、金に援を乞うたが応じられなかった。金の群臣は夏を助けて蒙古を挟撃すべきと論じたが、金主は「敵同士が争うのは我が国の福である」として出兵しなかった。
  • 十二月、河の外堤が決壊して包囲が解け、蒙古が使者を送って降伏を勧め、安全は娘を差し出して和を請うた。