西夏書事卷三十七 宋孝宗(金大定十一年) 乾道七年(夏乾祐二年) 1171年

対金の通常の遣使

  • 春正月、金へ正旦を賀う使者を送った。
  • 三月、金の万春節を賀う使者を送った。金における夏使の応接の定制(駅程・湯薬の給与など)が詳しく記される。
  • 秋九月、金の使者が来て誕生日を賀した。

西蕃・国内の動静

  • 二月、西蕃克烈部の菊児が投じてきた。克烈部長汪罕がその叔父菊児を攻め、菊児は敗れて夏国に逃げ、仁孝はこれを憐れみ西の辺境に住まわせた。
  • 夏五月、幹道沖を中書令とした。道沖は剛介直言の士で任得敬に憎まれ二十年近く不遇であったが、仁孝はその節概を重んじ中書令に抜擢し、百官はこれを師と仰いだ。まもなく宰相となった。

任純忠の誅殺

  • 冬十一月、任純忠が誅殺された。任得敬の死を聞いて逃亡し金の北境に潜んでいたが、捕らえられて隴逋族に送られ、趙師古が結什角の仇として殺した。