西夏書事卷三十六 宋高宗(金皇統八年) 紹興十八年(仁孝人慶五年) 1148年
内学の設立と濮王仁忠の死
- 春正月、金の正旦および万寿節を賀う使者を送った。道中の雨雪で賀正使が遅れ、賀節使とともに謁見した。
- 二月、金の使者が横賜に来た。使者は葛波古らであった。
- 三月、内学を建てた。仁孝自ら名儒を選んで主宰させた。
- 夏五月、新しい音律が完成した。西夏の音楽は元昊の改変以来唐末の遺音を失っていたが、仁孝は楽官李元儒に中国の楽書を採らせ本国の制度と合わせて三年がかりで完成させ、新律と名付けて元儒らに官を賜った。
- 冬十一月、中書令の濮王仁忠が没した。仁忠は威儀正しく朝廷で公正に振る舞い、弟の舒王仁礼が私に金銭を受けたことを諫めて改めさせ、自身は俸給を家族に分け粗食で過ごした。任得敬が太后を通じて内召を図る動きも長らく封じていたが、この年没し、呉王を贈られ恭顕と諡された。