西夏書事卷三十五 宋高宗(金天眷元年) 紹興八年(乾順大德四年) 1138年

祈安城改称と皇后冊立

  • 春正月、金の正旦および万寿節を賀う使者を送り、互市の許可を求めた。斉国はすでに廃されており、金は陝西の地をすべて収めていたため、金主は陝西平定間もないことを理由に許さなかった。
  • 夏五月、積石州を祈安城と改めた。積石の蕃族は強悍であったが、乾順が兵威で脅すと諸部は服し、城名を祈安と改めた。
  • 秋八月、任氏を皇后に立てた。任氏は曹氏とともに妃位にあり、任得敬は娘を后にしようと権貴に賄賂を贈っていたが、御史大夫芭里祖仁が「二妃並立で嫡がなければ争いや嫉妬を招く」と諫言し、群臣も任妃の家柄・才徳を推したため、乾順は任氏を皇后に立て、任得敬を静州都統軍に任じた。
  • 冬十月、鄜延の旧将李世輔が夏に投じた。金軍が延安を陥落させた際、父の永奇とともに捕らえられ承宣使・知同州とされていたが、金帥撒離喝を捕らえて宋に帰ろうとして失敗し、父母妻子を失い二十六人で夏へ逃れた。乾順に父母の仇討ちと陝西五路の奪還を願い出て、静難軍承宣使・鄜延岐雍等路経略安撫使に任じられた。