西夏書事卷三十四 宋高宗(金天會八年) 建炎四年(乾順正德四年) 1130年
高橋の敗戦と将士来降
- 春正月、金の正旦を賀う使者を送った。宋軍が高橋で敗れ高宗が海路に逃れたことを、金主は高麗・夏の使者に示して威を誇った。
- 太常卿謝亮が再び使者として訪れたが、入国を拒まれた。開封尹宗沢の北伐提案や張浚の陝西宣撫の上奏を受け、高宗は謝亮を再度遣わしたが、乾順はその入境を許さなかった。
- 冬十月、金の天清節を賀う使者を送った。金が劉豫を斉帝に立てると、斉の使者も封冊への謝礼と賀節に訪れ、夏使は斉使・高麗使の下に列せられた。
- 環慶統制の慕洧が慶陽から夏に降った。張浚の富平の敗戦で処刑された環慶経略使趙哲の部将慕洧が慶陽から叛いて夏に帰属し、乾順はこれを受け入れた。
- 十二月、熙河副総管の劉惟輔が帰属を願い出たが、受け入れなかった。金軍と戦った劉惟輔は苦戦の末に山寺に潜み夏に援を求めたが、乾順は金を恐れて応じず、後に劉惟輔は金に捕らえられて死んだ。