西夏書事卷三十三 宋徽宗(遼保大二年、金天輔六年) 宣和四年(乾順元德四年) 1122年
遼救援の試みと宜水の大敗
- 春三月、遼の西京救援に兵を送ったが間に合わなかった。金将斜也・斡离不らが遼西京を破り遼主を追撃したが捕らえられず、西京はなお抵抗を続けていたところ、乾順は五千の援兵を送ったものの、境を出たところで西京陥落を知り引き返した。
- 夏四月、金の降将耶律坦が境を犯し、河西に兵を備えた。耶律坦は金将斜也の命を受け遼の西南招討使配下の諸部を脅して降し、夏境近くまで迫ったが、乾順が河西の諸郡に兵を備えると解いて去った。
- 五月、大将李良輔を送って遼を救い、天徳軍で金兵を破った。遼の山西諸城が金に降る中、乾順は遼主が陰山に逃れたと聞き、良輔に三万の兵を授けて救援させた。天徳境で金軍の先鋒を撃破し、伏兵で金将阿土罕の軍も破ったが、阿土罕は馬を棄てて山を越え逃れた。
- 六月、宜水に進軍し、金将斡魯・婁室の両軍と戦って大敗した。良輔は勝利に驕り雨中で油断していたところを金の婁室・斡魯の挟撃を受け、数千人が戦死し、退却の際には増水した渓流に流されて多数が溺死した。
- 秋七月、使者を送り遼主の安否を尋ねた。西京と沙漠以南を失った遼主は石輦駅へ逃れ、金将蒲家奴に追撃されて輜重を棄てて逃げたが、乾順は大臣曹价を送って糧食を届けた。