西夏書事卷三十一 宋哲宗(遼壽昌五年) 元符二年(乾順永安二年) 1099年
西平府攻略の失敗と遼の使者
- 春正月、河東官軍が西平府攻略を図ったが藏才山で阻まれた。
- 夏国は遼使が鄜延に来たことを利用し協議を試みたが、哲宗は文書の授受を禁じ経略司に慎重な対応をとらせた。
梁氏の毒殺
- 遼主は梁氏の専横と非礼な上表を怒り、使者を送って梁氏を鴆殺し、乾順に国政を委ねさせた。乾順は逆らえず、母の薨去を告げる牒を宋に送った。
遼への協力と首領誅殺
- 二月、乾順は遼の命により叛いた抜思母部の討伐に従軍させられた。
- 大首領㖫結訛遇が神堆で帰順民を阻もうとしたが、鄜延将張誠らに大敗した。
- 南路都統軍嵬名律令が熙河へ書を送り朝貢再開を求めたが、宋は無断接触を咎めて担当官を降格し書を送り返した。
遼の斡旋と府州侵攻
- 三月、乾順は遼を通じて宋との和解を図り、遼主は宋に解和の書を送った。哲宗は返書で夏の悪行を詰りつつ和平の可能性を示したが、夏の使者が境を出るや、乾順は銀州鈐轄令王皆保に府州を襲わせ、知州折克行に捕えられた。
首領の誅殺と告哀
- 夏四月、乾順は嵬保没・訛遇らを梁氏死去の責めを負わせ誅殺し、遼の斡旋を受けて宋へ告哀・謝罪の使者を送った。
内附と烽台破壊
- 五月、蘭会正鈐轄革瓦娘が内附した。
- 鄜延路の烽台が破壊されたが、追撃は及ばなかった。
告哀の往復
- 六月、夏は重ねて鄜延へ告哀の牒を送ったが、謝罪の表状を伴わず、宋側は手続きの不備を指摘して差し戻した。
赤羊川首領の内投
- 秋七月、赤羊川の首領賞囉訛乞が内投を図り、追撃した監軍訛勃囉が知環州种樸に敗れ捕えられた。
仁多洗忠の戦死と南宗堡包囲
- 八月、熙河軍との衝突で首領仁多洗忠が戦死した。
- 西蕃の内紛に乗じ乾順は兵を送り南宗堡を囲んだが、王瞻の反撃で退いた。
謝罪表と鎮戎軍侵攻
- 九月、夏は謝罪の使者を送り誓表提出の意向を示し、哲宗はこれを受け入れる詔を発したが、直後に乾順は鎮戎軍を襲い供奉官陳告らを殺した。
湟州包囲の失敗
- 閏九月、統軍仁多保忠が西蕃の求めに応じ十万の兵で湟州を包囲したが、宋の援軍に阻まれ十六日で解囲した。
約束の申し入れと遼への謝礼
- 冬十月、夏は鄜延に牒を送り部下への統制を約束した。
- 和議が許されたことへの謝礼として遼へ使者を送った。
誓表の提出
- 十一月、乾順は誓表を提出し、慶暦五年の旧誓に依ることを誓った。哲宗はこれに応じ、境界の確定方針と恩礼の継続を答詔した。
正旦の賀
- 十二月、乾順は誓表の文言に真宗の廟諱を犯す字があったことを謝罪し、正旦の賀を願い出た。