西夏書事卷十八 宋仁宗(契丹重熙十七年) 慶曆八年(曩霄天授禮法延祚十一年) 1048年

曩霄の弑逆と諒祚の即位

  • 春正月朔、日が赤く光を失った。
  • 国主曩霄が子の寧令哥に弑された。曩霄が寧令哥の妻を奪い野利后を廃したことへの恨みから、寧令哥は野利氏の一族と共に曩霄を襲い鼻を削いで逃げた。翌日曩霄は死んだ。享年四十六。僭号十七年、改元五度。諡は武烈皇帝、廟号景宗。
  • 国人が寧令哥を討ち誅殺した。没蔵訛龐が諒祚を立て、没蔵氏を太后に尊した。実際には訛龐が寧令哥を唆して弑逆させ、事後に自ら誅殺して諒祚擁立の名目とした。
  • 二月、楊守素を遣わし哀を告げた。仁宗は祭奠使・弔慰使を送り厚く弔った。
  • 契丹へ遺品を献じた。
  • 三月、鉄不得国が契丹に西夏攻撃への協力を求めたが、契丹は距離を理由に応じなかった。
  • 夏四月、諒祚が夏国主に冊封された。程琳・孫沔は服喪中の攻撃に反対し、機を逃したとの評もある。
  • 五月、慶州で叛酋孟香の引き渡しを求めたが得られなかった。
  • 六月、延州侵攻を謀ったが境まで至って引き返した。程琳の備えにより退いた。
  • 秋九月、祭奠への謝礼の使者を送った。
  • 冬十二月、冊封への謝礼の使者を送った。