西夏書事卷十八 宋仁宗(契丹重熙十四年) 慶曆五年(曩霄天授禮法延祚八年) 1045年

契丹との緊張緩和と暗雲

  • 春正月、契丹に鶻を貢いだ。契丹の疲弊に乗じ曩霄が境を掠めたため契丹主は激怒したが、鶻の献上で懐柔を図った。
  • 二月、互市を復した。
  • 夏四月、乾元節を賀う使者を送った。
  • 五月、石元孫を宋へ帰した。三川口で捕らえられていた将であり、和議に伴い解放された。
  • 閏五月、冊封への謝礼の使者を送った。
  • 六月、契丹に貢いだ。曩霄は表向き宋に臣従しつつ契丹の動静を警戒し貢献に努めた。
  • 秋七月、篳篥城を侵した。これが西夏が臣従後に再び叛いた最初として記される。
  • 八月、保安軍が境界を詰問したが応じなかった。
  • 遇乞の妻没蔵氏を尼とした。曩霄が野利后の訴えを受け入れ没蔵氏を宮中に迎えたが、野利后に知られ出家させた。これが後の混乱の遠因となる。
  • 冬十月、宋の暦「崇天万年暦」を施行した。
  • 十一月、葫蘆河に駐兵した。
  • 子の阿理が謀反を企て、殺され、妃哶米氏も死を賜った。
  • 十二月、屈野河を侵し、麟州の指使魏智を捕らえた。
  • 楊守素を保安軍に遣わし在漢の人戸の引き渡しを求めた。