西夏書事卷十七 宋仁宗(契丹重熙十三年) 慶曆四年(元昊天授禮法延祚七年) 1044年
契丹との賀蘭山合戦と宋への臣従
- 春正月、契丹に献上した。威塞城築城への反応を探る目的であった。
- 二月、青澗川を侵したが、折保忠に敗れた。
- 使者張延寿が帰った。三月、秦州を掠めた。
- 夏四月、契丹配下の山西五部が投降を願い出たが、曩霄はこれを送還しなかった。
- 青澗城を包囲したが、劉岳との戦いに勝てなかった。
- 五月、契丹が党項を討伐し、曩霄は援兵を送った。契丹の招討使を殺したため契丹主は激怒し諸道の兵を集めて夏国討伐を図った。
- 阻卜へ援兵を求めたが、阻卜は使者を契丹へ送り届けた。
- 六月、使者を送り、初めて誓表を上げ臣を称した。宋への七年に及ぶ対立を終わらせる誓約であり、これが西夏が再び宋に臣従した最初である。
- 秋八月、契丹への使者が抑留され、契丹軍が唐隆鎮を窺った。
- 九月、誓詔を求めた。仁宗は詔を賜り西夏の忠誠を認めた。
- 冬十月、契丹の来襲を受け賀蘭山で防戦したが敗績した。契丹は三路から侵攻し、曩霄軍は大敗した。
- 契丹軍を河曲まで誘い込んで撃破し、和議を求めた。曩霄は偽って退却を重ね契丹軍を疲弊させた末に反撃し大勝した。
- 十一月、契丹へ捕虜を献じたが、仁宗(契丹主)はこれを却下し表のみを受けた。
- 十二月、夏国主に冊封された。これが西夏が宋に再び臣従した記録の締めくくりとなる。
- 契丹の捕虜蕭胡覩を返還した。
- 中書令張元が没した。対宋強硬策を主導した重臣であったが、和議が進む中で志を得られず病没した。
- 使者を遣わし正旦を賀した。