西夏書事卷十五 宋仁宗(契丹重熙十一年) 慶曆二年(元昊天授禮法延祚五年) 1042年

環慶方面での攻防と契丹の介入

  • 春正月、金湯城を扼したが、環慶の王仲宝の攻撃を退け、宥州も五日の包囲の末に解かれた。
  • 団練使訛乞・𠼪𠾎が内附した。
  • 二月、鄜延の兵が綏州を騒がせたが撃退し、龍口坪を襲った。
  • 監軍野利旺栄が蕃将浪埋らに命じ青澗城へ偽降させた。种世衡はその詐りを見抜きつつ利用し間者として扱った。
  • 阿干城を築き、西蕃の瞎氈の軍を龕谷で破った。
  • 三月、慶州に大順城を築き、白豹・金湯等の砦に兵を配した。范仲淹の策により金湯・白豹の勢力を分断した。
  • 契丹へ捕虜を献じ援軍を求めた。契丹は幽州に出兵する構えを見せたが、実際の派兵には至らなかった。
  • 西蕃の兀二族が降ったが、夏四月、知環州种世衡がこれを討った。元昊の誘いに応じた族を討伐したもの。
  • 延州の官軍と橋子谷で戦ったが克てなかった。
  • 夏五月、宥州侍中黙香が内附し封冊を求めた。仁宗は順徳軍節度・順徳郡王に封じ趙姓を賜った。
  • 黒神堡へ援軍を送り、再び延州を侵したが、馬懐徳の防戦により進めなかった。
  • 六月、延州の将王嵩(僧王光信)を捕らえ、教練使李文貴を遣わし和議を求めた。种世衡が間者として送り込んだ僧が捕らえられた顛末が記される。