内紛の深化と五州の献上
- 春三月、綏州刺史李克文が夏州への詔使派遣を要請した。克遠の死以来一族が不和となり、克文は継捧の相続に異を唱え、変事を恐れて詔使を伴い夏州に赴き継捧を入朝させるよう求めた。克文は継捧の従父にあたる。
- 夏五月、継捧が入朝し、銀・夏・綏・宥・靖の五州の地を献上した。太宗は克文に夏州の権知を命じ継捧を京師に召した。継捧は一族との不和もあり、やむなく一族を率いて入朝し、五州八県の地を献上して京師に留まった。
- 六月、定難軍都知蕃落使李継遷が地斤沢へ逃れた。継遷は兄継捧の入朝と五州献上に不満を抱き、弟継冲・腹心張浦らと図り、祖先伝来の地を失うことを拒んで乳母の葬送を装い武具を車に隠して脱出、地斤沢の蕃族の地に逃れた。
- 秋九月、権知夏州事李克文が入朝した。克文は夏州を治め蕃族を撫して朝命を待ち、召されると先祖思恭が賜った鉄券・御札を献上し、澧州刺史に任じられた。
- 綏州刺史李克憲が朝命に抗ったが、通事舎人袁継忠の説諭により降った。克憲はもと太原攻略の功を恃んで跋扈していたが、継忠の説得を受け入朝し単州刺史に任じられた。
- 冬十月、夏州で乱が起き、李克文が再び権知州事となった。克文入京後に戎人が動揺し反乱を起こしたため、朝廷は克文を夏州に戻し鎮撫させた。
- 十一月、李継捧が彰徳軍節度使に任じられた。夏州帰順に伴い蕃部二百七十余人・五万余帳が内附し、継捧の功として節度使に任じられた。
- 十二月、李継遷が夏州を攻めた。地斤沢から兵を集め夏州を攻めたが、朝廷が援軍を送ると聞き退いた。