西夏書事卷二 後唐明宗 長興四年 933年
仁福の死と彝超の抗命
- 春二月、定難軍節度使李仁福が没し、子の彝超が跡を継いだ。仁福は追号され虢王とされた。
- 三月、朝廷は彝超を延州留後に転任させようとしたが、彝超はこれに従わなかった。夏州が党項の侵寇を退けた後、辺将から仁福が契丹と通じているとの報告が相次いだため、明宗は仁福没後の混乱に乗じ彝超を延州へ移そうとしたが、彝超は詔を奉じつつも実際には赴任しなかった。
- 夏四月、彝超は兵を発し青嶺門を守らせた。五月、蘆関を襲ったが克てなかった。安重進の軍が到着すると兄の阿囉王に守らせ、蕃部を集めて備えた。
- 秋七月、官軍が夏州を攻めたが撃退された。夏州城は赫連勃勃が築いた堅城であり、官軍は地道を掘っても攻略できず、彝超兄弟は重進に「祖父代々の地を失いたくないだけで、朝廷に労費をかける必要はない」と説き、明宗はついに撤兵を命じた。撤退する官軍を彝超軍が追撃し多くの損害を与えた。
- 冬十月、彝超は使者を遣わして謝罪し、改めて定難軍節度使に任じられた。