西夏書事卷一 梁太祖 開平三年 909年
彝昌弑逆と仁福擁立
- 春二月、夏州の将高宗益が節度使李彝昌を弑逆した。宗益は夏州都指揮であり、党与とともに謀反し彝昌を捕らえて殺した。
- 三月、夏州の人々が高宗益を誅殺し、蕃部指揮使の李仁福を留後に迎えた。将吏らが宗益とその一党を討ち、戍所にいた仁福を迎えて留後に立てた。仁福は彝昌の族父にあたる。
史論(論曰)
- 思恭の時代は拓跋氏がまだ衰勢にあり、平夏の勢力も弱かったが、一州の兵力で唐朝の危難を支え、数十世の遺緒を再興した功績は忠にして家をも興したものである。鄜延奪取や張濬軍放棄など議論のある行いもあるが、邠寧の反乱や岐・汴の簒奪、藩鎮の抗争が相次ぐ中で夏州が一騎も乱に加わらなかったことは、領境を保ち民を安んじた証というべきである。思諫が兄の跡を平穏に継いだことは宋の太宗や元の仁宗にもできなかったことで、兄弟の情を全うしたとも言えるが、椒蘭の弑逆や汴梁の簒奪を座視し援助も討伐もしなかった点は思恭に及ばない。彝昌は在位一年余りで身に失徳なく禍に遭ったことは、痛惜すべきことである。