拓跋思恭の挙兵
- 春三月、宥州刺史の拓跋思恭が兵を起こして黄巣討伐に向かった。
- 唐末の混乱の中、党項の一豪族に過ぎない思恭が近隣諸鎮を糾合し義兵を挙げたことは、代北の朱耶(李克用)や雲州の赫連鐸に劣らぬ功であるとして評価される。
長安攻防
- 夏四月、思恭は夏綏銀節度の職を権知した。長安が陥落し節度使諸葛爽が賊に降った後、僖宗が思恭を任じたものである。
- 思恭は武功に進軍し、鳳翔・義成・涇原・河中の四節度と同盟し長安奪回を図った。
- 諸軍は長安に迫り黄巣は一時東方へ退いたが、涇原の程宗楚が独断で入城し掠奪したため賊の反撃を受けて敗死し、黄巣は長安に戻った。思恭は王橋で賊と戦い不利であった。
- 秋七月、思恭は東渭橋に進軍した。忠武・昭義の諸鎮が失地を回復したのを機に、再び長安包囲網を固めた。賊将尚讓・朱温が二万騎で迎撃に来た。
- 八月、思恭は夏綏銀節度使に任じられた。九月、賊将尚讓・朱温と戦い、弟の思忠が戦死した。思忠は東渭橋で奮戦し賊を敗走させたが深追いして陣没した。忠勇の士として評価される。
- 冬十一月、富平で敗れ夏州へ退いた。諸鎮の勤王軍が進撃を渋る中、賊将孟楷に急襲され支えきれなかった。私に本拠へ退いたことは春秋の筆法に照らし「奔」と貶して記す。
- 十二月、夏州に定難軍の軍号が賜られた。思恭は夏州で軍備を整え再挙を上奏し、僖宗はその意気を嘉して軍号を与えた。