出自と曹操軍下での顔良討伐
- 関羽、字は雲長、河東解の人。逃亡して涿郡に至り、劉備が郷里で兵を集めると張飛と共に武を助けた。徐州襲撃の際は太守代行を務めた。
- 曹操が東征すると劉備は袁紹の下へ逃れ、羽は曹操に捕らえられて偏将軍となり厚遇を受けた。曹操は羽の心が留まらぬことを察して張遼に真意を尋ねさせると、羽は「曹公の厚遇は知っているが、劉将軍への厚恩を裏切れない、功を立ててから去る」と答え、曹操はこれを義とした。
- 白馬で袁紹の大将顔良を万衆の中から刺し斬りその囲みを解いた功で、漢寿亭侯に封じられた。羽はまもなく賞賜をすべて封印し、書を残して劉備の下(袁紹軍中)へ奔った。曹操は左右の追撃を止め「各々その主のためだ、追うな」と許した。
荊州の統治と樊城攻め
- 劉備が江南を収めると羽は襄陽太守・蕩寇将軍として江北に駐屯し、劉備が益州を平定すると荊州統括を任された。
- 馬超の降伏を聞き、旧知でない超の人物を諸葛亮に問うと、亮は羽の自負を知って「馬超は文武兼備の一世の傑、張飛と並ぶ程度で、髯(関羽)の絶倫には及ばない」と答え、羽は喜んでこれを賓客に示した。
- 流れ矢が左腕を貫いた古傷が雨天ごとに痛むため、医師に骨を削らせて毒を除く手術を受けた際も、血が盤に満ちる中で酒宴を続け談笑した(刮骨療毒)。
- 前将軍となった羽は樊城の曹仁を攻め、援軍の于禁は漢水の氾濫で全軍水没し降伏、部将龐徳は斬られた。羽の威は華夏を震わせ、曹操は許都遷都まで議したが、司馬懿・蔣済の献策で孫権に背後を襲わせる策を採った。
- 孫権が子のために羽の娘を求めた際、羽はその使者を罵って拒み、権は激怒した。江陵の南郡太守糜芳・公安の傅士仁は羽に軽んじられていたことを恨み、軍需の不足を羽に叱責されて不安を抱いていた。
- 権はこれに乗じ密かに芳・仁を誘って降伏させ、江陵を陥した。曹操も徐晃を送って樊城を救援させると羽は退却、権軍に妻子ら軍兵を奪われて軍は瓦解し、羽は臨沮で斬られた。
史論
- 孫子の「強ければこれを避ける」の通り、羽の威が華夏を震わせると曹操は許都遷都を議した。「大吏が怒って服さぬ」の通り、羽の部将糜芳・傅士仁が恐れを抱いて叛いたのがこれに当たる。