十六国春秋南涼錄三 楊桓

呂氏への忠節と逃亡

  • 楊桓は弘農の人。初め呂光に仕えた。光の晩年、郭黁の反乱に際し従弟の統が桓を主に推そうとしたが、桓は義を執って強く固辞した(詳細は呂光龍飛二年の条に見える)。呂纂の代、后(娘)の父として尚書左僕射に任じられていたが、纂が隆に弑逆されると后も自殺し、桓は位を棄てて逃亡した。

利鹿孤への出仕と秦への転仕

  • 利鹿孤が隆を伐ち桓を捕らえた際、桓は「私は呂氏の厚恩を受けた身、実に叛臣として明主にまみえるのを恥じるのみです」と応じ、利鹿孤は「卿は忠臣だ」と左司馬に任じた。秦の姚興が桓を召し出そうとすると、利鹿孤は「本来は卿と共に大業を成し遂げようと期していたのに」と城東で餞別し、桓も「この恋慕をどうして忘れられようか」と応じ涙で別れた。桓は秦で深く礼遇され、ついにその地で卒した。