十六国春秋南涼錄三 禿髪破羌
北魏への帰順と源氏の賜姓
- 禿髪破羌は傉檀の子である。容貌魁偉で機知と弁舌にも優れていた。傉檀が乞伏熾磐に滅ぼされると北魏へ逃れ降った。世祖(太武帝)はかねてその名声を聞いており「卿と朕はもとより同じ源より出ている、源氏の姓を賜ろう」と述べ西平侯に封じた。涼州征討・柔然討伐・蓋呉討伐に功があり、賀という名を賜り殿中尚書に遷した。
子孫の繁栄
- 宗愛が世祖と南安王余を弑逆すると、賀は決断して高宗(諱は濬)を推戴し弑逆者を誅し、征北将軍・西平王に進み官は太尉に至った。高祖(諱は宏、高宗の孫で顕祖の子である)の太和元年に卒し、孫の懐は驃騎大将軍、懐の子子雍は鎮東将軍・冀州刺史に至り葛栄討伐で戦死した。子雍の弟子恭は中書監に至り、子孫は多く大官に至った。