十六国春秋後涼錄四 纂妻楊氏

纂の死とその後

  • 纂の妻楊氏は弘農の人で尚書右僕射楊桓の娘である。咸寧元年、皇后に立てられた。美艶で義烈の性格を持っていた。纂が超に刺されると楊氏は禁兵に討伐を命じたが応じる者はなく、将軍魏益多が纂の首を斬ると、楊氏は泣いて「人はすでに死ねば土石のようなもの、なぜ忍びなくその亡骸をさらに損なうのか」と言った。楊氏が纂を殯り宮を出ようとすると、超は珍宝を懐に出ることを恐れ捜索させたが、楊氏は「私は朝夕にも死ぬ身、金宝など何になろうか」と厳しく責め、超は恥じて退いた。玉璽の所在を問われても「すでに壊した」と答えた。

自殺による節の全う

  • 超は楊氏の美貌に心を動かし娶ろうと考え、父の桓に「后がもし自殺すれば禍は卿の一族に及ぶ」と告げさせた。楊氏は「父上はもともと私を氐族に嫁がせて富貴を図ろうとした、それだけでも十分すぎるのに、どうしてまた娘を二人の氐族の男に辱められることに使えましょうか」と述べ、桓は強いることができず、楊氏はついに自殺した。穆后と諡された。