十六国春秋前涼錄六 馬岌
崑崙山と西王母祠
- 馬岌、茂に仕え参軍となった。劉曜が隴上から兵を率い攻めてきて涼州が大いに震撼した際、岌は茂に自ら出陣し防ぐよう勧め、石頭に進駐すると曜の軍は退いた。駿が即位すると涼州刺史酒泉太守に転じた。岌は「酒泉の南山はすなわち崑崙山の一部です、周の穆王が西王母に会い楽しみのあまり帰るのを忘れたのはこの山を指しているのです」と上言、駿はこれに従い祠を立てて祀らせた。
- 重華の時代には左長史となり、祚が即位すると尚書に累進した。当時災異がたびたび現れ祚の淫虐はますます激しくなったため、岌は切に諫めて免官された。後に祚は前秦から降った将・王擢が裏切るのではと恐れ、岌を復位させ共に謀り密かに人を遣わし擢を刺そうとしたが果たせず、ついに擢に殺された。