十六国春秋前涼錄六 張瓘

専横と暗殺

  • 張瓘、祚の一族。河州刺史となり兵力は強盛であった。祚はこれを猜疑し密かに兵を送り瓘を図ろうとしたが、瓘は兵を率いてこれを防ぎ、祚を万秋閣で殺した。そのまま姑臧に入り玄靚を涼王に立て、自らは涼州牧となった。瓘は性格が猜疑深く悪辣で、賞罰はすべて愛憎によって行い綱紀は失われた。郎中殷邭が損益を陳べ諫めたが、瓘は「虎は生まれて三日で自ら肉を食べられる、人に教わる必要はない」と答えた。これにより人心は離れ、誰も進言しなくなった。
  • 後に瓘はまた玄靚を廃し自立しようと謀ったが、事が成る前に、玄靚と共に車で城を出た際、城西の橋梁が頑丈であったにもかかわらず三本の梁が突然折れ、また祚が部下を率い鎧を着け手を挙げ「氐奴め、いずれそなたの首を斬ってやる」と告げる幻を度々見た。瓘はこれを深く忌み嫌い、日々銭帛を人々に施し私恩を植えようとしたが、都の街では殺人が朝夕絶えず、乱を企てる者が十のうち九に達した。東苑の大きな塚の上に突如水が流れ出し、城北の大沢では地が突如燃え上がり数里に及んだ。そこで宿怨のあった牛旋らを殺し水火の異変に応じようとした。
  • 刺史の旧例では正月に鳥を放つことになっていたが、瓘が放つ鳥は手を離れるとすぐに死んだ。梟が広夏門に巣を作り、追い払っても去らないため自ら見に行くと、宋混は弟の澄をその巣のもとへ遣わし瓘を殺害させた。瓘は死に際し澄に「そなたは婚姻の縁を受けながらかえって逆を為した、皇天后土は必ずこれを照らすだろう、私は死んでもよいが、そなたも私と共に滅ぶことになるだろう」と言い、まず妻子三十人を殺してから自殺した。先立って太白が輿鬼を守るという天変があり、占者は州の分野に暴兵が起こるだろうと述べていた。瓘は諸宋を誅殺してこれを鎮めようとしたが、瓘はついに澄らに殺されたのであった。