十六国春秋索孚
射の名手
- 索孚は字を国明といい、燉煌の人である。射を善くし十のうち八九を中てた。ある人がこれに問うた、「射に法があるのか」と。孚は言った、「射の法は人主が天下を治めるようなものである。射る者は弓に強弱あり、矢に銖両あり、弓が度に合わず矢が端直でなければ、たとえ逢蒙であっても中才を中てられない。官が不称で万務が荒怠すれば、たとえ堯舜の君であってもこれを治めることはできない」と。
- 張駿は參軍に辟した。駿が石田を治めることを議したとき、孚は諌めて言った、「およそ治を為す者は動くに天機に逆らわず、作すに地徳を破らない。昔、后稷は百糓を播いても磐石を墾さず、禹は江河を決したが流勢に逆らわなかった。今、石を徙して田としようとし、土を運んで穀を植えれば、費やす所は畆に百石余りに及ぶが、収穫は三石を超えない。竊かに安んずるところではありません」と。
- 駿は怒って伊吾都尉に出した。累遷して張掖太守に至った。後に河州刺史張瓘が枹罕に鎮し士衆が強盛であったとき、祚はこれを猜忌し、孚を代わりに枹罕に鎮させたが、瓘に殺された。