十六国春秋夏錄四 趙逸
過褒の文と兄弟の運命
- 趙逸、字は思羣。天水の人。十世祖の融は漢の光禄大夫、父の昌は石勒の時代に黄門侍郎であった。逸は学を好み早熟で、姚興に仕え中書侍郎を歴任、興の将・斉難の軍司馬として勃勃討伐に従軍したが難が敗れると勃勃に捕らえられ著作郎を拝命した。世祖が統万を平定した際、逸が勃勃を過度に称える文章を書いていたのを見て怒り「この小僧は無道だ、どうしてこのような言葉を書けたのか、書いたのは誰か、速やかに追及せよ」と言ったが、司徒崔浩が「文士の褒貶は実情を超えることが多いもの、彼の誤った記述も揚雄が王莽の新朝を美化したようなもの、帝王の道はもとよりこれを容れるべきです」と進言し、世祖はこれをやめた。後に北魏に仕えた。逸の兄・温、字は思恭は博学で高い名声があり、姚泓に仕え天水太守となったが、泓の敗北後、氐王楊難当のもとで没した。