十六国春秋南燕錄三 張瑛
敵の参謀としての節義
- 張瑛、幽薊の人。辟閭渾の参軍となり、常に渾のために檄文を作っていたが、その言葉には不遜な表現が多かった。渾が敗れると徳は瑛を捕らえて咎めたが、瑛は顔色一つ変えず徐に「渾に私のような臣がいたのは、韓信に蒯通がいたようなもの、通は漢の高祖に遭って赦されましたが、私は陛下に遭って処刑される、古人と比べればまことに不幸なことです、防風氏の誅は私も甘んじて受けますが、ただ堯舜の教化がまだ四海に広まっていないのではと恐れます」と答えた。徳は当初その言葉を評価したが、後にはついに殺した。