十六国春秋後秦錄九 司馬休之

東晋からの亡命と厚遇

  • 司馬休之、字は季預。若くして東晋に仕え清廉な官途を歩み、功により龍驤将軍襄城太守に任じられ歴陽を鎮守した。桓玄が兵を率いて攻めると、休之は力戦したが勝てず、子や甥を連れて慕容超のもとへ逃れ、後に晋に戻り後将軍会稽内史都督荊雍梁秦寧益六州諸軍事平西将軍荊州刺史を歴任した。劉裕が荊州を攻めた際、休之は当時江陵に駐屯し裕に抵抗、江津で交戦したが敗れ、雍州刺史魯宗之と共に秦へ逃れた。興はまもなく休之を荊州刺史に任じ東南の事を委ねようとしたが、休之は固辞し魯宗之らと共に襄陽・淮漢を騒がすことを願い出た。興はそこで鎮軍将軍揚州刺史に任じ、宗之らにもそれぞれ官職を授けた。
  • 休之が出発しようとした際、侍御史唐盛が興に「予言によれば司馬氏は河洛を回復するはずとあります、いま休之に外で兵を握らせれば、鱗となって南へ翔ぶ機を得てしまい、もはや池の中の魚では収まらないのではと恐れます」と進言したが、興は「昔文王はついに羑里の幽閉を免れ、高祖は鴻門の会で命を落とさなかった、もし天命があるならば誰がこれに逆らえよう」と述べ、送り出した。裕が泓を平定すると、休之は北魏へ亡命しようとしたが、到着前に道半ばで没した。