十六国春秋後秦錄八 太后虵氏

崩御と喪礼をめぐる論争

  • 虵氏、略陽の氐族で虵玄の従姑にあたる。萇の白雀三年、皇后に立てられ、萇の死後興が即位すると皇太后に尊ばれた。皇初四年、虵氏は病に伏しまもなく崩じた。興は悲しみのあまり礼を過ごし政務を執らなかった。群臣は漢魏の故事に倣うよう求め、埋葬後は吉服に改めるべきだとした。尚書郎李嵩は上疏し「三王は制度を異にし五帝は礼を異にする、孝をもって天下を治めるのは先王の高い事績である、聖性に従って孝道を輝かせるべきだ、埋葬の後も素服のまま朝に臨むべきで、これは天下に率先すべき仁孝の行いだ」と論じた。左僕射尹緯はこれに反論し「帝王の喪の制度は漢魏を基準とすべき、李嵩は常識に反し礼を越え制度を誤らせている、有司に付してその専断を論罪すべきだ、埋葬後は吉服に改めるという先の議論に従うべきだ」と述べた。興は「李嵩は忠臣孝子、何の罪があろうか、尹僕射は先王の令典を捨て漢魏の権制に従おうとしている、これでは朝廷の賢者に何を望めようか」と述べ、李嵩の議論をそのまま採用した。