十六国春秋後秦錄八 姚邕

赫連勃勃への警告

  • 姚邕、字は子和、小字は黄児。興の弟。済南公に封じられた。弘始年間、興は劉勃勃を車騎将軍奉車都尉として軍事に参与させ厚く遇したが、邕は興に「勃勃は生来不仁で親しみ育てにくい性分です、陛下の寵遇が過ぎているのではと私は心配しています」と進言した。興は「勃勃には世を救う才がある、私はその才を活かし共に天下を平定しようとしているのに、なぜこれを拒む必要があろうか」と答え、勃勃を安遠将軍とし没奕干を助け高平を鎮守させた。邕は固く諫め不可とし、興が「そなたはどうして彼の人となりが分かるのか」と尋ねると、邕は「勃勃は目上には慢心し部下には残酷で貪欲で狡猾、不仁で軽々しく去就を変えます、分に過ぎた寵愛はいずれ辺境の害となりましょう」と答えたが、興は聞き入れず、ついに勃勃を使持節安北将軍とし雑虜二万を配し朔方を鎮守させた。まもなく勃勃は嶺北を侵略、興は「私が黄児の言を用いなかったためにこうなった」と嘆いたという。邕は識見明敏で特に音楽に長け、いずれの曲もその過不足を測り改良を加えることができ、世にこれを伝え「済南新調」と称したという。