十六国春秋後燕錄八 慕容鳳

幼少期の才気と復讐の志

  • 慕容鳳、字は道翔、宜都王桓の子。桓は宮室の造営を好み、鳳が八歳の頃、左右がこれを抱いて桓に従い殿観を巡らせた。桓が「この邸はよいか」と問うと、鳳は笑って父に「これは元々石家の諸王の邸です、今、王がこれを修めても、どうしてよいと言えましょうか」と応じ、続けて「今、王の食事は多くの品数を兼ね揃えていますが、外には糟糠の民がいます、これは小児が同列に語れることではありません」と述べた。桓はますますこれに感嘆した。桓が遼東に鎮していた頃、燕が滅ぶと秦の将朱嶷に殺された。鳳は十一歳、ただ泣くばかりで何も言わなかったが、かつて母に「昔、張良は士を養って秦王を撃ち、君の仇に報いました、先王の事をどうして一日たりとも忘れられましょうか」と語り、密かに復讐の志を抱いた。鮮卑・丁零の気骨ある者にはみな身を尽くして礼を尽くし交わりを結んだ。権翼はこれを見て「若君はまさに才望をもって自ら顕そうとしているのだから、そなたの父のように天命を識らない真似はしないように」と語ると、鳳は激しい調子で「先王は忠を尽くそうとして遂げられなかった、これこそ人臣の節です」と応じ、翼は表情を改めて謝った。翼は苻堅に鳳を早く除くよう進言したが、堅は従わなかった。

慕容垂への合流と歴戦

  • 堅の淮南の敗戦後、垂が挙兵し河を渡って洛陽へ向かおうとした際、鳳は丁零の翟斌に垂を盟主として推すよう勧め、斌はついに衆を率いて垂に帰した。垂は鳳を建策将軍とした。垂の即位後、父の爵位を襲って宜都王となり冠軍将軍に転じた。鳳は戦うたびに身を顧みず奮戦し、前後大小二百五十七戦において功のなかったことはなかった。垂はこれを戒めて「今、大業がようやく成ろうとしている、そなたはまず自らを大切にせよ」と述べ、車騎将軍の副として、その鋭気を抑えさせた。垂が長子を克つと、鳳を雍州刺史としてこれを鎮めさせた。寶の即位後、冀州刺史に遷り信都を守り、恵威が著しく百姓はこれを慕った。魏の太祖が来攻すると、鳳は城を越えて中山へ逃げた。