十六国春秋前秦錄十 梁平老
生涯
- 梁平老、略陽の氐人。才識明敏で令行禁止(命令が徹底し禁令が守られる)の実を上げた。堅はその王佐の才を認め礼を尽くし、元来親しい間柄であった。生の即位後、特進領御史中丞となった。生が酔いにまかせて多くの人を殺すようになると、平老は堅に「主上は徳を失い上下は嘆き、人々は異心を抱いている、燕・晋の二方も隙を窺って動こうとしている、恐らく禍が起こる日には家も国もろとも滅びるだろう、これは殿下の事だ、早く手を打つべきだ」と進言し、堅は内心これに賛同し、共に生殺害を謀った。堅の即位後、尚書左僕射とし、使持節・都督北蕃将軍事・鎮北大将軍として朔方の西に出鎮させ匈奴に備えさせ、まもなく開府儀同三司を加え朔方侯に封じた。建元八年(372年)十一月に没し、諡を桓とした。平老は鎮に十余年在り、鮮卑・匈奴はこれを畏れながらも敬愛した。子の成は中塁将軍・兖州刺史を歴任し、南中郎将・都督荆揚州諸軍事・荆州刺史・領護南蛮校尉に転じ兵一万を配し襄陽に鎮めたが、まもなく衛軍将軍に遷り洛澗に屯し、淮南の敗戦(淝水の戦い)で晋に殺された。