十六国春秋前趙錄十 陳安
挙兵までの経緯
- 陳安、字は虎侯、成紀平襄の人。若くして大志を抱き、『魏書』の許褚伝を読んで感じ入り自ら「虎侯」と字した。晋の南陽王司馬模に仕え、模の敗死後は秦州の司馬保に帰属して精鋭を率いたが、周囲の讒言により命を狙われ負傷、以後独自に勢力を築いて曜に臣従を誓った。
独立と滅亡
- 司馬保の死後、その仇を討ち天子の礼で厚く葬るなど義に厚い一面を見せた一方、曜への朝見が病を理由に拒まれると激怒して離反し、氐羌を糾合して十余万の兵を擁し大都督・涼王を自称するに至った。曜の親征と休屠王石武の攻撃を受けて隴城に追い詰められ、包囲の末に討ち取られた。
隴上健児の歌
- 部下たちはその死後も城を守り抜き、隴上の人々はその死を悼んで長編の哀歌「隴上健児の歌」を作ったと伝わる。歌は陳安の武勇と部下への厚情、愛馬騄驄との別れ、追手から逃れ切れなかった無念を歌ったものとされ、曜もこれを聞いて哀傷し、楽府に命じて後世に伝えさせたという。