十六国春秋前趙錄八 聰后劉氏

才媛としての評判

  • 劉氏(武宣皇后、名は娥、字は麗華)は新興の人で、偽太保劉殷の末娘。幼くして聡明で女工と学問を兼ね備え、兄弟との経義の議論でも卓越していたという。聰の即位後に貴妃として迎えられ、まもなく皇后に立てられた。

陳元達の諫死を救った上奏

  • 聰が後宮に䳨儀殿を造営しようとした際、廷尉陳元達が自ら腰に鎖をつないでまで強く諫めたため聰は激怒し処刑を命じたが、后は密かに刑の執行を止めさせ、自ら上奏文を書いて「陛下が私のために宮殿を造り忠臣を殺せば、忠言する者が口をつぐみ人心が離れ社稷が危うくなるのは全て私のせいにされる。むしろ私が死んでこの過ちを塞ぎたい」と訴えた。聰はこれに心を動かされ元達を赦し、「朝廷の外に卿ら、内に后がいれば何も憂うことはない」と述べたという。
  • 后は聡明で聰の不行跡をたびたび正した。死後、武宣皇后と諡された。

妹の英

  • 姉妹の英(字は麗芳)も聡敏で学問・文才に優れ、娥と同時に召されて左貴嬪となったが早くに没し、武徳皇后と追諡された。