十国春秋卷一百十二 十國地理表下 呉越
要約
呉越の管内州県を列記する。西府杭州・安國衣錦軍・東府越州を中心に、蘇・湖・温・台・明・處・衢・婺・睦・秀の諸州とその属県を掲げる。杭州の於潜には敵に備える閲武寨が置かれ、餘杭の県城は武肅王が重ねて築いて清平軍と号し、越州の新昌県は文穆王の上奏で剡県の地から新設された。歴代の王による築城・県の新設や、避諱・不祥な字を忌んでの改称(諸暨・長興・樂清・永安・武康・瑞安・平陽など)が随所に見え、婺州武義は朱全忠の父の諱を避けたと推定される。安國衣錦軍はもと臨安県の安衆営が唐末に衣錦営、後に衣錦城、天祐四年に安國衣錦軍と累進したもので、武肅王の出身地への尊称であった。明州は鄞(もと鄮)以下六県を領し武肅王が黄晟没後にその地を得て望海鎮を築き、處州の白龍県はもと長松県で百仭山に白龍が現れた瑞祥にちなみ改称された。蘇州・湖州・温州・台州もそれぞれ四から五県を領し、秀州は武肅王が嘉興に開元府を置いた後、後唐の代に廃府を経て、文穆王の代に嘉興・海鹽・華亭を統べる州として再編され、崇徳県もあわせて新設されたものである。
現代語訳全文
呉越
- 西府杭州
- 錢塘(旧県)、錢江、鹽官(旧県)、餘杭(旧県。武肅王が県城を重ねて築き、周囲六百二歩とした。後に渓の南に遷して清平軍と号した)、富春、桐廬(旧県。『宋史地理志』を案ずるに、厳州の桐廬県は太平興国二年に杭州より来属したとある。五代の時、桐廬はもと杭州に属していた)、於潜(旧県。閲武寨を置く。呉越が敵を防ぐため県の北五十里に置いた)、安國、新登(旧、新城。呉越の天寳元年、梁が廟諱を避けて新登県と改めた。杜稜城がある)、横山、武康(旧、湖州に隷属していたが、武肅王の時に来属した。『武順存録』にいう、梁の開平元年、武康を割いて杭州に隷属させたという)
- 安國衣錦軍(唐の光化三年、臨安県の安衆営を衣錦営と改め、天福五年、衣錦城に昇格させ、天祐四年三月、衣錦城を安國衣錦軍に昇格させた。『宋史』によれば太平興国四年、順化軍と改めた)
- 東府越州
- 會稽(旧県)、山陰(旧県)、諸暨(初め暨陽と改め、天寳元年、また奏して諸暨と改めた。県城は武肅王が王永を遣わして修築させた)、贍、餘姚(旧県)、蕭山、上虞(旧県)、新昌(もと剡県の十三郷の地。晋の天福年間、文穆王が奏して置いた)
- 蘇州(領県五)
- 呉(旧県)、長洲(旧県)、崑山(旧県)、常熟(旧県)、呉江(呉越の天寳二年閏二月、松江に県を置くことを奏し、呉江と名づけた)
- 湖州(領県四)
- 烏程(旧県)、徳清(旧県)、安吉(旧県)、長興(旧、長城県。呉越の天寳元年八月、梁の諱を避けて長興と改めた)
- 温州(領県四)
- 永嘉(旧県)、瑞安、平陽、樂清(旧、樂城県。呉越の天寳元年、梁主の父の諱を避けて改めた)
- 台州(領県五)
- 臨海(旧県)、黄巖(旧県)、台興、永安(唐は樂安県。呉越の寳正五年、今の名に改めた)、寧海(旧県)
- 明州
- 鄞(もと鄮県。呉越が鄮を鄞と改めた)、奉化(旧県)、慈谿(旧県)、象山(旧県)、望海、翁山(旧県)
- 處州(領県六)
- 麗水(旧県)、龍泉(旧県)、遂昌(旧県)、縉雲(旧県)、青田(旧県)、白龍
- 衢州(領県四)
- 西安(旧県)、江山(もと唐の湏江県。呉越が今の名に改めた。邑に江郎山があるためである。『太平寰宇記』にいう、江郎山には五色の石があり日に照らされて輝くという)、龍游、常山(旧県。乾徳四年、忠懿王が常山の西境を分割して開化場を置いた)
- 婺州(領県七)
- 金華(旧県)、東陽(旧県)、義烏(旧県)、蘭溪(旧県)、永康(旧県)、武義(唐の初め武義といい、後に武成と改め、天祐末にまた武義に復した。朱全忠の父の諱を避けたものかと思われる)、浦江
- 睦州(領県五。天福三年四月、睦州を築城した)
- 建徳(旧県)、壽昌(旧県)、遂安(旧県)、分水(旧県)、青溪(旧県)
- 秀州
- 嘉興、海鹽(旧、蘇州に属していた)、華亭(旧、蘇州に属していた)、崇徳(もと嘉興の西鄙、義和鎮。天福三年、廣陵王元璙が中呉を鎮め、嘉興の崇徳などの九郷を割いて県とすることを請い、義和に治所を置いた。ついに郷名をもって県名とした)